前のページへ

 そのころ木刻文字、鉛文字といろいろな凸文字が考案され、凸文字全盛時代を迎えた。パリで世界最初の盲学校が設立されたのもそのころで、校長はバランタン・アウイーである。1784年のことで、視力障害者教育の夜明けとして、その意義は大きい。アウイーは独自の凸文字を考案し、書物も出している。またこれを契機に欧州各地で盲学校が設立されている。使用されている文字はいずれも凸文字で、特にウイーン盲学校では地理、数学、音楽などの凸字本が出版されている。
 さて日本である。奈良時代の役所には語部という役職があり、盲御前という盲人がいて、彼らが伝承してきた古来の出来事を記録して『古事記』ができた。日本の歴史は彼らの記憶が基礎になっている。稗田阿礼は盲人であったという説さえある。盲人の記憶力の良さは、江戸時代の盲人学者、塙保己一の『群書類従』を見てもわかる。これは彼の記憶力をうまく整理して作り上げたものである。ある日、突然、行灯の火が消えた。あわてる目明きの弟子を前にして、みごとにいってのけた。
「目明きとは不自由なものだ」
 これは昔の国語の教科書にも出ていて、子供心に強い印象を受けたが、もしこの時代に点字があったらと思うと残念である。
 日本でも十九世紀の始め、触読文字の研究が発表されている。ひら仮名や漢字を陶器や瓦の表面に浮かび上がらせ、それを組み合わせて文章まで作っている。当時、葛原勾当という盲人は紙の上に凸文字を浮かび上がらせているが、おそらく陶器の上に浮かび上がらせた文字を紙の上に転写したのであろう。ここで注目したいのは、日本では漢字という大変複雑な字形を持った文字が存在していることである。しかもその漢字が、日本文の主体を成しているのだから大変である。
 盲人の文字に対する挑戦は、用の東西を問わず、活字をそのままの形で表現しようとしたものであった。ところがここに字形とはまったく関係なく点の配列だけでアルファベットを表現しようという画期的な考えが飛び出してきた。その研究は晴眼者のシャルル・ボアイエである。彼はルイ十六世の砲兵大尉で、夜戦の暗号として夜でも使える秘密文字を考えていた。それが点を組み合わせて作った点字で、視力障害者の文字として脚光を浴びたのである。まさに神の啓示という他はない。夜戦用の文字が盲人用文字として転身したのだから。バルビエ大尉は、彼の作った点字を盲人用文字として、1807年に論文を発表している。しかし世の中はまだ凸文字時代で、ただ参考意見に過ぎなかった。

次のページへ

川上泰一のページへ

トップページへ